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法華経は釈迦の直説ではない
「法華経は釈迦の直説ではない」について 調べてみました。

富永仲基(とみながなかもと、正徳5年(1715年) - 延享3年8月28日(1746年10月12日))は、江戸時代大坂の町人学者。懐徳堂の五同志の富永芳春(道明寺屋吉左衞門)の3男。通称、道明寺屋三郎兵衞、号:南關、藍關、謙斎。
 懐徳堂で弟の富永定堅とともに三宅石庵に学ぶが、独特の加上説によって儒教を批判したため破門されたという。

出定後語(しゅつじょうごご・しゅつじょうこうご)は、富永仲基の主著。延享2年(1745年)に刊行された。
本書のもっとも特徴的な主張は、「加上」と呼ばれる法則の提言である。仲基によると、新しい学説は、古い学説の権威を乗り越えるため、自説をより古いものと見せかける。たとえば儒家が文王や武王を宣揚すると、これに対抗すべく墨家はより古い禹を持ち出し、さらに儒家がこれに対抗してより古い尭・舜に自説をかこつけるといった具合である。
仲基はまた、まず小乗仏教が先行し、それに対抗して大乗仏教が加上されたとし、つまり大乗仏教を後世に作られたものと断じた。このことによって本書は仏教界から攻撃され、一方で平田篤胤などはこの書を賞揚した。

大乗非仏説
【説の諸相】
大乗思想に対しては、はやくより上座部の立場より疑問が提示されていたが、近世以降の「大乗非仏説」説では、文献学的考証を土台とし、仏教が時代とともにさまざまな思想を取り入れ、変化してきたことを示そうとするのが特徴である。文献学的考証では、原始仏教、原始仏典という概念を想定し、阿含経典に最初期の教えが含まれているのではないかと想定されている

法華経の教え
法華経が成立したのは、釈尊滅後500年ほど経た紀元100年前後といわれており、さらにその一部は後に順次増補されたと見られています。実はこの年代については、明治期以降に発達した近代文献学研究によってほぼ明らかになったもので、それ以前は実際に釈尊が直接説かれたものと信じられていました。そこで問題となってきたのは、それでは法華経は釈尊の金言でもなければ仏説でもないではないかという疑問です。これは法華経に限らず、華厳経や般若経、浄土教経典など他の大乗経典にも全て当てはまります。いわゆる大乗非仏説です。そうした考えの一端は、早くも江戸時代の富永仲基や平田篤胤といった国学者からも指摘されていました。

しかし非仏ということでいえば、現在伝えられている仏教経典はどれも釈尊が直接書かれたものではなく、全て仏弟子やその後の仏教徒集団が作ったものなのです。最も古いとされている阿含経などの原始経典にしても、釈尊滅後200年頃までに逐次成立したと推定されており、これらは釈尊滅後の教団における信仰的依拠として、弟子たちがそれぞれ釈尊の言葉や教えを記録しようとした仏典でした。その意味では後の大乗経典の作成意図も同じです。ただ初期教団(上座部仏教または小乗仏教)やその経典が組織強化のために戒律重視の禁欲的傾向を強めたのに対し、より自由な仏教思想を求める様々なグループによる大乗経典が誕生したというわけです。
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【2006/02/10 20:22】 | 仏教 | トラックバック(0) | コメント(21) |
立正安国論プロジェクト
チョンガーさんが書いた立正安国論批判を読んだ。

 仏法も日蓮さんも ほとんど知らない私が 何を論じられるかというと、普通人の視点で見た 立正安国論であろう。第一印象は「へ こんな事書いてあるノン、全然 ありがたい事書いてないなぁ」って感じですね。

 原文を読んで頂きたいが、要約すると
 旅人が お坊さんの庵に来て言うのです。「飢饉や 天災や 疫病で この国の人や家畜がバタバタ死んでおります。どうしてでしょう」
 
 すると坊さん 「正しい法が 無くなってしまったので、神様がいなくなってしまったのだよ、そして悪魔が入り込んでいるのさ」

(旅)「え~ この国にはこんなに仏教が盛んなのに そんなはず無いではないですか」
(坊)「仏教が盛んそうに見えるけれどね 悪い坊さんが一杯いて 正しい法を説いていないのだよ」
(坊)「なかでも 法然という坊さんが、選択集というのを説いてね、コレが間違いなんだよ
(坊)「念仏さえしていれば 百人が百人とも往生できるよ なんてさ。念仏一門しか 救われないって言っているのだよ」
(坊)「仏教の中心である法華経に書いてある『もし、この経を信ぜずにそしる人は、死して無間地獄に落ちる』という 釈尊の戒めの言葉に 背いているのだよ」
(坊)「法然の選択集が出てから、阿弥陀堂でなければ供養もせず、念仏の行者でなくては布施をしなくなって、他の仏堂は荒れ果てて 住職も逃げ 守護の善神もいなくなってしまったのだよ」
(坊)「法華経を捨てて 浄土念仏を信じるから悪鬼が入り込んで日本が 禍に見舞われているのだよ、だから祈祷より 念仏を禁止を一番にする事だよ」

(旅)怒って「でもね 中国や日本の立派な先師が 阿弥陀仏を尊重していますよ。法然様も幼いときから 比叡山に登って修行をつまれ 智慧が明らかで徳も高いとされていますよ。」
(旅)「多くの書を読み 時代背景を考えて 修行しやすさを考えた結果 念仏を採用されたのですよ。法然様に対して そんな罵詈雑言 同席するのさえ恐ろしいです」と帰ろうとします。

(坊) 旅人を笑って止め
「詳しく法然の謗法を説明しましょう。釈尊の説教には方便と真実の教えがありますが、易しい教えから深い教えとなって 真実は法華経なのですよ。法然は それを無視して すべての大乗経典と仏・菩薩・神々を捨てよと、多くの人びとの心を迷わせているからです。」

(旅)「だいたい解りましたが、そんな事を 朝廷・幕府に進言する事は 出過ぎた行為ですよ」
(坊)「法華経を学んでいる者として、何とかして真実の仏法を立てたいと考えるのは当然ではないでしょうか。それに 延暦寺と興福寺から、たびたび念仏停止の進言がされていますし、法然の弟子たちは 遠国に流されています、朝廷や幕府に 意見提出している者はいるのですよ。」

(旅)「あなたが 正しいのか 法然が悪いのか 私には解りませんが、まずは日本の災害を除く方法を教えて下さい」
(坊)「正法を謗る人を禁じて、正法を信ずる人を重んずるならば、国中は安穏で天下は泰平になるであろう、と私は考えるのです」

日蓮さん 法然さんを罵倒して 法華経を守る自分が一番と主張されています。
このあと 日蓮さんは とても 恐い事を仰います。

(坊)涅槃経大衆所問品に次のように説かれています
 仏が言うには 一闡提(いっせんだい)には 施しをしてはならない。口汚い言葉で 正法をそしり、悔い改めない者のことを一闡提と言う。

 涅槃経梵行品には
人を殺すのは 上中下ある、すなわち生き物の命を奪うのは下、人は中、父母 声聞や縁覚や菩薩 を殺す事が上、上が一番罪深く無間地獄に堕ちるのである。しかし 一闡提を殺す事はこれに含まない。
異端の教えを説く婆羅門たちは正法をそしる一闡提であるから、彼らを殺しても罪にはならないのである。
 涅槃経寿命品には 正法をそしる者があれば、みな力を合わせて徹底的に根絶しなければならない。
涅槃軽金剛身品には 正法を護る者は五戒を守らなくとも、威儀を整えなくとも、まず刀や弓や鉾をとるべきである。

このように経文に明らかです。蟻を殺した者でも必ず三悪道に堕ちるけれども、謗法の者を殺せば必ず不退転の菩薩の位に達し、仏になれるというのです
 謗法(ほうぼう)の人びとは正法を伝える人を無視し、そのうえ、法然の選択集にだまされて智恵の目を閉ざされてしまったのです。

(旅)大集経の法滅尽品には 僧であれはすべて供養を捧げなければならないと書かれています。涅槃経では謗法を禁じていますが 大集経の戒と異なりますから、謗法者を 殺すなどと信じられないです。

(坊)こんなに経文をあげたのに まだ信じられないのですか? 昔の釈尊は命を奪ったと言いましたが、今は、すなわち布施を止めろと言っているのです。

(旅)襟をだたして「仏の教えは 細かく別れて難しく 私には理解が及びませんが、法然の選択集に一切の仏も、経も、菩薩も、神々も、「捨てよ」「閉じよ」「閣けよ」「抛てよ」の言葉をもって、すべて排斥しております。ですから 日本の善神が去って 禍が起こっているのは 経文から理解できました。一刻も早く 法然一派を滅ぼさないといけません」

(坊)「あなたが 心を翻したのは 嬉しい事です。しかし 人は移ろいやすいもの。もしも あなたが、国の安泰を欲しているのなら 謗法の者たちをすみやかに滅ぼさなくてはなりません。なぜなら「他国侵逼の難」「自界叛逆の難」が起こるからです。」
「また 邪教を信じてはいけません。間違った考えがいつまでも残っているならば、早くこの世を去り、死んでのちは必ず無間地獄に堕ちるでありましょう。」
  「あなたは 今までの邪教を捨てて、法華経に帰依しなさい。」

(旅)「私が弥陀一仏を信じて他の仏をなげうち、浄土三部経だけを仰いで他の経を捨てたのは、私の考えではなく、浄土宗の先師の言葉に従ったまでであります。そのために 現世では心労し 死んで無間地獄に落ちるなど、経文から解りました。この世が安寧であるために、謗法の者たちを すぐに根絶し、他のみんなの誤りを正しましょう。

要約終わり

 読んで、愕然となった。私は 日蓮さんをあまり存じ上げないが、熱い男だなぁ位に思っていた。だが、彼は この立正安国論では念仏一派を 謗法の者と決めつけて 撲滅を指示している。

 今 この日本は 日蓮さんが 立正安国論を書いた世と 似ている。飢餓こそ少ないが、鶏インフルエンザやBSEなど 疫病がはやり、大きな地震は続き、また 北朝鮮のミサイルや 中国の圧力などが続いている。

 日蓮さんの論の 「念仏一派」を「創価学会信者」に変えても 良いのではないか?この時代は 日蓮一派は 少なく、権力に抵抗する側であった。今 創価学会は権力を手にして、弱者を組織的に壊滅させようとしている。

 日蓮さんは 法華経に帰依する者が 謗法の者ではないとしている。創価学会は本当に法華経の行者であろうか? 日蓮さんは「南無妙法蓮華経」と唱えるだけで、成仏できるとしたが、実際は 法華経を信じながら 人の為に尽くして、法華経を弘めていく。もちろん、戒は 犯さないという あたりまえの約束事があるだろう。 それを拡大解釈して「あそこは 謗法だから 攻撃しよう」「正しい仏法を守っているから これくらいの事はやっても平気」「私たちはあなた達と違うのよ」となったから 今の 世間に疎まれる「創価学会」が出来あがってしまった。

 日蓮さんの 仏法を継承すると やはり しつこい勧誘、他の宗教は邪教、攻撃的な信者 と 「カルト」と認証されても 仕方ないものが出来上がるのかも知れない。(戒を重視すると 違うのだろうが)
【2005/12/04 19:51】 | 仏教 | トラックバック(0) | コメント(1) |
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選挙前になると電話をかけてくる 不思議な人達。そんな創価学会を体験してみました。【ここは 創価学会体験記http://blog.goo.ne.jp/free-zu/ のコピーblogです。】

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